急求,中国人在日本的感想的日语作文?
日本の印象
私は日本に参りまして、4ヶ月に経ちました。日本の生活にも惯れてきましたし、日本语も大分わかるようになりました。
今日は私が日本に対する印象について、话したいと思います。
日本に来て、最初の印象は先ず、交通のルールを皆さんがよく守っていて、车多い割りに交通事故は少なく、スムーズに流れていると思います。
そして、电车の凄さです。朝の通勤ラッシュ时间帯において电车本数の多さと利用客の多さに惊きました。このような电鉄システムがあるので、大都会东京、大阪のような卫星都市型に成り立っているからです。
ただ、一つ残念なことに日本の***や雑志について、単纯に売り上げや、视聴率を追求して、その内容を问わず、やがて、青少年に悪い影响を及ぼすことに违いません。それと同様に携帯电话の普及に伴い、小中高生の持ち率も年々上がり、出会いサイトやネット上の中伤など、青少年の犯罪や、***等年々増え、社会问题にもなっています。
社会が进化に连れ、いいことが多いですが、必ず副作用のようなものも付いてきます。それに対する対策をも当然改善していますが、青少年には有効な制限或いは措置を望みます。
以上私の日本に対する印象と感想です。
ご清聴ありがとうございます。
鲁迅相交较深的日本友人,除了有名的藤野先生,还有其他人吗?
鲁迅先生除与藤野交往之外,还与内山完造,留学期间结识的宫崎龙介,为其治病的须藤五百三,还有金子光晴等大约六十余位日本人有交集。
在鲁迅先生交往的这些日本人中,内山完造是其过往最多的一个。内山完造原是一个浪人,鲁迅是在逛其书店时结识的。内山很早便来中国,先是在眼药店做店员,后来去中国其他城市做广告。内山与井上美喜子婚后再次来到上海,在四川路开设了内山书店进行文化交流。日本侵华战争爆发后,其情报机关便招内山做了情报员,内山书店也因此扩大了业务规模。鲁迅后来因上海“社会新闻”刊登的一篇《鲁迅愿做汉奸》,版税尽失生活窘迫,便编写了一本《南腔北调集》由日本“同文书局”出版,内山帮其在日本人的书店销售,获利甚丰总算是过了难关。但在不久之后,“上海新闻”又刊登了一文《内山完造的秘密》,开撕内山的老底,言内山是日本奸细云云,以此而定鲁迅是汉奸。
说鲁迅先生是汉奸,可能是言过其词,但鲁迅与内山过从甚密,却是不争的事实。周家兄弟四人,除四弟早夭外,两人均娶了日本女子为妻,难免不招人非议。
鲁迅先生性格偏激,有时讲话不走大脑,比如在北京辅仁大学演讲时说“上海有许多抗日团体,有徽章不知藏起来,被日军发现后,死是难免的。然而中国青年记性不好,有徽章不一定是抗日,不过是放在口袋里,被日军查出又必定送命。像这般青年被杀,大家一定以为日本人很残酷,其实是脾气不同的缘故”。爱国青年被杀,鲁迅先生不痛斥侵略者的罪行,反而说是日本人脾气不同,令人大跌眼镜,不像是出自鲁迅这位大文豪口里。
综上所述,从鲁迅和日本人交往的历史来看,他喜欢,尊敬,甚至崇拜日本人这是不争的事实。
还有很多鲁迅和日本人交往的事实,在此就不一一论述了。